F即興論題解説①

F即興大会論題解説①

需要はないけど、適当に書きます。

 

論題1

「日本は全てのパチンコ店の営業を禁止するべきである、是か非か。」

 付帯条項

 

1.パチンコ店とは風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風営法)第2条第1項第7号に明記された「ぱちんこ屋」のこととし、パチンコとパチスロを設置し営業している店とする。

七  まあじやん屋、ぱちんこ屋その他設備を設けて客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業を行っている店

2.同法第2条第1項第8号に該当するいわゆるゲームセンター等の営業は含まれない。

 

1試合目から重いですね…。NADEでは100%出ないでしょう笑

自分がアイデアを出した論題です。

 

個人の選択の自由が主な対立軸の話で、コンテキストはパチンコ中毒です。

パチンコで負け続けてるのに、勝った時の快感が忘れらなかったり金銭にせっぱつまっていたりして、サラ金からお金を借りてまでパチンコにお金をつぎ込んでしまうんですね。ちなみに、患者数は数百万オーダーでいるという推計もあって、実は潜在的に大きな問題です。

http://www.aizato.or.jp/images/gyanburu/GA.pdf

 肯定側は、パチンコがパチンコ中毒者を生み出して、そこからの借金、破産、離婚、一家離散、困窮などの破滅的な状況を生むのがパチンコなんだということを論じて、パチンコが禁止に値すべきものかを論じればよいと思います。

 ここで、否定側からくるであろう突込みが競馬や競輪、宝くじへのシフトの話や、パチンコだけ禁止する正当性の話なのですが、前者は競馬や競輪が単なるギャンブルだけなく予想当てとしての楽しみを持っており趣向が違う遊びであること、後者については元来ギャンブルは禁止であり「公営ギャンブルは例外」とされていることを考えればギャンブル類はすべて禁止というスタンスを取り立証責任は否定側にあることを論じればよいでしょう。

 

 一方で否定側は、「個人の選択の自由」、「地方経済の衰退」がメインで出せるでしょう。

 個人の選択の自由は間違いなく本質的な議論なのですが、アカデディベーター対象の大会であったせいかあまり議論されていなかったという話を聞いています。しかし、この議論は「どのようなものが禁止されていて、どのようなものが認められているのか」という線引きさえきちんとできれば、非常に有効な議論です。個人の選択の自由を認めるかどうかの一つの判断基準として、個人がその選択肢によるネットベネフィットを(ある程度)合理的に判断することができれば、その選択肢を認めるというものがあります。例えば、たばこやお酒は大人であれば得られる快感やストレス解消のメリットと、健康被害を合理的に比較して、判断を下せるだろうとされていることから、認められていますし、子供はそれができないからこそ、認められていません。また、大人であってもドラッグは酒やたばこと比べてもその合理性を大きく乱すことから、認められていませんし、自殺は例え本人が合理的に判断できるという仮定があったとしても選択肢として取り返しがつかないことから認められていません。

 このようなアナロジーを使いつつ、パチンコがお酒やたばこと同様に、選択者にとって大きなメリットがあり、合理的に使用できる環境があることを示せばよい(この点に関しては、肯定否定ともにアメリカのカジノがどのようなことをやっているのかをリサーチすると良い)でしょう。

 地方経済衰退の議論は、パチンコ産業がいかに日本経済の中で大きな産業(20兆円産業です!)であること、地域の経済中心地であり、雇用創出やコミュニケーションの場となっていることを論じればよいでしょう。

http://www.nichiyukyo.or.jp/condition/

 また、ブラックマーケットの議論も有効かもしれません。

肯定側のギャンブル中毒の話を逆手に取り、強い中毒性を持つからこそプラン後に禁止しても結局裏勢力が闇パチンコを開き、ギャンブル中毒者は結局そちらに流れて行ってしまう、しかも闇パチンコは公営パチンコ(厳しい規制がある)よりレートがより低くより生活崩壊の泥沼にはまりやすく、犯罪の温床にもなりやすいことを話しても良いかもしれません。戦略上ブラックマーケットの話は個人の選択肢の話とも相性が良いです。1NRTAとして出すのもありですね。

 

 以上いろいろ見てきましたが、試合の結果を見るとAFFNEG拮抗していて、それなりにバランスした論題だったかと思います。

 

 

 

論題2

「日本は18歳未満のグラビアアイドル活動を禁止すべきである、是か非か。」

・グラビアアイドルとは、雑誌(特に男性向け週刊誌や漫画雑誌)のグラビア、写真集、イメージビデオ(DVD)などに主に水着姿で出演をし、自身のセクシーさやかわいらしさを表現する女性アイドル・タレントの総称である。

 

Fのイケメンが出した論題です。

即興大会で話題になった(個人感)論題です。対立軸は1試合目と割と似ています。これも確か自分のアイデアです。質問時間ではオジサンや現役ディベーターからきわどい質問が飛び交いました笑

ちなみに、このようなきわどい質問をしても、ディベートの議論にはあまり影響しないケースがほとんどであることから、もっと素直に空気を読んで論題を解釈し試合に臨む姿勢が広まることを望んでいます。

ちなみに、今回Fの論題検討では 基本的に以下の解釈を用意して、質問時間に臨んでいました。

・論題で対象となるのは、一般男性に性的刺激を与えるもの。

「主に水着姿」→清純派女優のように、極力肌の露出を抑えた普段着に近い通常ファッションは当てはまらない。

 

「セクシーさ」→ファッションモデルのように、足の長さなどのスタイルの良さを魅せるセクシーさは当てはまらない。

 

 

肯定側は参考URLを見ればわかるように、要は児童グラビアアイドルが実質的な児童ポルノになっているという話です。後は、いかにグラビアアイドルから擬似児童ポルノになるかの話を論じるだけなのですが、ここでポイントとなるのが「事務所と児童側のパワーバランス」と「アイドル世界での競争構造」でしょう。事務所と児童側では、どうしても仕事をもらう側である児童の方が立場が弱くなり過大な要求でも受け入れがちになってしまいますし、虐待も受けいれがちになり起こりやすくなります。また、アイドルの世界は少数の人気アイドルだけがスポットライトを浴び、それ以外に大多数のアイドル側は例え小さなショーであっても出演し、日の目が出るのを狙い続けなければなりません。一方で、現実世界では児童アイドルに対し性的な興奮を求める需要も強く、アイドル世界の厳しい競争から抜け出すために、一部の児童アイドル側が擬似児童ポルノに近い演出を強要することも起きるでしょう。

http://www.iza.ne.jp/topics/events/events-110-m.html

http://news.livedoor.com/article/detail/6677173/

 

一方で、否定側です。

否定側は、一部で"どう勝つんだ”という声があったかと思います。

もちろん勝てます。

否定側として、主に出せる議論は「児童アイドルの選択の自由」と「表現の自由」でしょう。

児童アイドルの選択の自由の話

パチンコの議論とは少し異なり、個人の趣向の話よりも職業選択の自由の話に近くなります。否定側は、なぜ多くの児童がアイドルになろうとし、もしくは子役や若手清純派女優がなぜ水着グラビアになることが重要になるかを考えてもらえればよいかと思います。

たとえばその理由の一つとして、将来的に有名女優やタレントになりたいという夢をかなえるためということがあるでしょう。そのために、グラビアアイドルになること(綾瀬はるか、優香)は重要な選択肢の一つになりうるでしょうし、元々若手清純派女優や子役であったとしても、売れていなければ(大多数)グラビアになりイメージ脱却を計ったり(安達祐実)、新たなファン層をつかむことを狙ったり、既存のファンとのコミュニケーションを図ったりする(AKB48とか若いころの長澤まさみ)ことは重要な戦略でしょう。このような重要な職業がなくなることは大きなデメリットと言えるでしょう。また、アイドル後言うものが人々に希望や元気、夢などの良い感情を多くもたらすものであることを考慮すると、良い女優やアイドルが誕生する手段がなくなることは本人以外の人にとってもデメリットと言えるでしょう。

ちなみに、グラビアアイドルになろうとしなくてもオーディションとかがあるじゃないかという反論があるかもしれませんが、厳しいオーディションで選抜される可能性の低さ・元々もグラビアアイドルに適した性質を持っているアイドルの卵もいること・職業の選択肢はあればあるほど良いといった話をすれば十分返るでしょう。

 表現の自由の話は、表現の自由がいかに大切な権利であり、また表現者の素材としてなぜ児童アイドルでなければいけないのか、もしくは鑑賞者の視点からなぜ児童アイドルが固有の喜びをもたらすのかを話せばよいでしょう。児童アイドルであるからこその幼さ、無垢さ、清純さ、成長過程による変化は固有のものであるといえるかもしれません。

 

 しかし、否定側にとってネックになるのは肯定側への反論でしょう。擬似児童ポルノという主張はなかなか強いです。しかし、反論の仕様はあります。

 第一に、児童アイドルには「親」という実質的な代理人がいることを指摘できるでしょう。児童アイドルの場合、ほとんどの場合契約を行うのは本人ではなく親ですから、親が異変に気づき(愛情を持った親なら子供の変化には気づくこともあるでしょうし、子供も自ら被害に遭った事を言うこともあるでしょう)、被害が未然に防がれているケースは少なからずあるでしょう。

 

 第二に、そもそも事務所や撮影者がそのようなことを行うインセンティブがないことを指摘することです。ある事務所や撮影者が虐待や擬似ポルノに近いことを行えば、所属アイドルとの関係が悪くなり、仕事に支障をきたす可能性もありますし、将来売れっ子になった時に転籍され、事務所に収入をもたらしてくれないこともあるでしょう。またそのようなことをやったという評判がたったら、そもそも事務所の収入の元となるアイドルの卵が入ってこなくなります。であれば、このようなことはそもそも行わないと考えるのが妥当です。

 第三に、既存の枠組みで対応可能なことが多いことを指摘することです。擬似ポルノに近い行為/虐待共に児童ポルノ禁止法/児童虐待防止法で取り締まれる可能性が高いでしょう(特に後者)。であれば、わざわざ自動グラビアアイドルという職業を禁止まですることはないという議論ができるでしょう。

 

まとめると、否定側は児童グラビアの職業的/戦略的有効性を論じ、肯定側の擬似児童ポルノという話を徹底的につぶすことが重要になります。

ただ、肯定側よりも立論・反論双方で負担が重いのは事実で、その分少し否定側有利に思われたかもしれません。試合結果はAFF 5対 NEG3で確かにAFFが少し有利でした。

 

以上です。

参考になりましたでしょうか、考え方として似たような論題には応用可能な話をちりばめておきましたので、今後即興ディベートに取り組まれる際には参考にして頂けると幸いです。

 

めちゃくちゃ長くなりましたね笑